強くガッと(ガッと)

時にそっと(そっと)

新規をやめたい

私はここ2年ほどでジャニーズにハマりました。最初はデビュー組から始まって、Jr.を見るようになってからはまだ1年ほど。新規。紛れもなく新規のファンです。

ジャニーズに限った話ではありませんが、タレントとファンという狭くて熱い世界の中では、特にネット上において無意識に形成されるファンの序列というものがあります。客観的な指標によって実際に順位づけされるということではなく、個々のファンに内在する序列の意識です。

ジャニオタ界隈でもしばしばマウンティングという言葉が使われますが、まさにそれはこの序列の優位性を誇示することだと思います。人より優位に立っていたい、それを他者に知らしめたいという気持ちを持つのは集団で生きる動物の性でしょう。

ジャニーズに関しては、どれだけ長く応援しているか、どれだけ現場に行っているか(金をかけているか)、ツイート等の発言がどれだけ支持されているか。こういったものが尺度になっているようです。

私は特に、どれだけ長く応援しているか、すなわちファン歴についてコンプレックスを持っています。

 

ところで、コンプレックスという言葉は、特に日本においては劣等複合と呼ばれる”自分が劣っていることに対する強い執着心”として理解されています。また、タブーやフェティシズムに分類されるような様々な対象への愛着・葛藤・憎悪などの強い感情という意味としてもよく使われる言葉です。例えばショタコンとかですね(頭抱)

ファン歴についてのコンプレックスは、劣等複合に該当します。学歴コンプレックスという言葉が広く知られていますが、それと同類の劣等感とそれに付随するあらゆる執着心のことです。

 

古参のように先見の明がなかった。彼が芸能界に現れてから○年もその存在に気付けなかった。この年数の差によって、私はどれだけ彼らを理解できていないんだろうか。どれだけの活躍を見逃してきたんだろうか。そんな新規が彼のことを語って、生意気だと思われないだろうか。私が持っているのはこういったファン歴コンプレックスです。

この自意識に囚われて、存在しない非難や嘲笑に警戒して、新規であることをアピールせずにはいられなくなっています。自分にでかでかと初心者マークを貼ることによって、予防線を張っているような状態です。

 

大げさな説明をしましたが、自分の好きなタレントについて語る際に、新規であることを前置きして申し訳なさそうにしないといけないような気がしている。そんな自分の謎の気の弱さと遠慮深さがいい加減面倒くさいのです。

自分の気の弱さであり、自意識過剰であることは自覚していますが、事実、ファン歴を謙遜し合う文化はファン同士の交流において常套句になっていると感じています。謙遜し合ってみんないつまでも新規を名乗るから、みんな何年経っても永遠に新規のままです。既に新規という言葉が形骸化しつつあるとも思います。

 

ファン歴が長い人は、その分彼らの成長を長く見守っていて本当に羨ましいです。そしてファンがいなければアイドルはアイドルではいれらませんから、古くからのファンには感謝しています。

この羨望と感謝の気持ちがどういうわけか複雑に屈折して、古参に対して萎縮するようになってしまっているのです。誰から叱られたわけでもないのに。

 

しかし、私が彼の魅力に気付くタイミングは、あの時しかなかったはずなのです。私の場合は当時少し俗世に疲れていた節があって、夢みたいにキラキラした世界でさらに光っている彼らを見て心惹かれずにはいられませんでした。私の悩みを吹き飛ばしてくれました。ハイライトでくすみを消す的な。例えがおかしいですが、構図としてはそんな感覚でした。ちょうど某デビュー組がプチブレイクして、テレビによく出るようになった頃のことです。まさに革命でした。私の心の状態と、彼らの活躍の具合が絶妙にマッチしたから、私はファンになりました。

大人になってからジャニーズにハマることができてラッキーだと思っていますし、あのタイミングで彼らの魅力に気が付いた自分を誇らしく思ってすらいます。そして様々な面で幸運に恵まれて、かなり順調なジャニオタ人生を送っていると自負しています。(だからこそ申し訳ねーなーと思うこともありますが)

 

でも、やっぱり彼らについて堂々と語る勇気が出ないのです。言えなかった言葉が下書きに積もります。古参に敬意を示すことで何かを免れようとしています。でも、そんな自分が鬱陶しいし、新規という言葉がこの界隈にあまりにも溢れている気がして、息苦しさを感じています。でも、でも、の堂々巡りです。

この心理状態こそが新規の本質なのでしょうか?初心者マークに甘えることなく、堂々と思いを発信できるようになったら、一人前のファンと呼べるのでしょうか。いやファンに一人前も何もないですよね。

 

ファン歴に限らず、趣味に関しては何事も人と比べずに楽しめるといいのですが。ツイッターでもしばしばマイペースにオタクを楽しむことについての啓蒙的なRTが流れてくるので、多くの方が抱えている小さな悩みなのだと思います。

自分と同じようにアイドルを応援している人は沢山いて、そういった似通った価値観を持つ人たちと交流するのはとても楽しくて、だけど他者を認識した瞬間に、その他者と自分との間に差異や優劣が生まれてしまいます。否が応でも見つけてしまいます。現実社会においてはそれを自覚し謙虚に生きることが美徳とされていますから、趣味の世界でもどうしても気にしてしまうんですよね。

 

本当に疲れたら黙ってオタクをやめますし、当分そんな時は訪れないだろうなと確信を持てるくらいに彼らにはメロメロなので、まあかなりどうでもいい話なんですけど…

 

 

ブログを始めてからずっと温めていた記事なんですが、ちょうどタイムリーな話題が流れてきたので今回アップしてみました。

自称新規のファンの方を批判する意図はありませんが、度の過ぎた謙遜は「私たちみんな新規だよ仲間だよ!」と他の新規ファンへの理解を示しているのか、それとも「私が新規なんだからあなたたちはまだ新規にも及ばないヒヨッコよ!」という嫌味が含まれているのか、測りかねます。はたまた、10年選手はまだまだ新規だと本気で思っているのか。

何にせよ、櫻井翔さんの発言には大きな安心感を覚えました。タレントが新規と古参を区別することはまずないでしょうけど、私を含め、一部の尖ったファンの意識を少しやわらかくしてくれたような気がします。

私は嵐のファンではないので、彼らはお芝居、報道、バラエティといった一歩進んだステージで活躍されている方々だというイメージが強かったんですが、あの発言から察するに、バリバリ現役のアイドルなんですね。